父の付き添いで病院に。1月20日に内科受診。これまで長く見てくれて来た主治医さんに、脚のむくみ、胸(肺)に水が溜まっている、高血糖も進んでしまった、もう内科の範疇を超え循環器内科に回さねばならない、もう入院を勧めますと言われました。
循環器内科の先生には、父の不眠はマイスリーといった睡眠薬が効かないとか不眠症が酷くなったから眠れないのでなく、肺に水が溜まって息苦しいから眠れない状態なのでしょうと言われました。
特にカテーテルをするわけでは無いが、採尿用に管を入れ利尿剤でバンバン水分を取り除きます、酸素マスクもしてもらいますよとなりまして、そのまま入院。
2日目昼までは普通の父だったのですが、2日目の夜から妄言を言い始め3日目には暴れ出して看護師さん3〜4人でも抑えられない状態になったというのです。
知り合いの薬剤師さんに聞いたところ、父は入院中にマイスリー(短期型睡眠薬)をカットされ、離脱作用がでたのだろうと。マイスリーの場合、2日目あたりが離脱作用はキツイ。5日間くらいは離脱作用は続くだろうと。
実際、父の意識は朦朧としてしまい、私の声や顔を見れば私だという認識は持つモノの、言っていることがサッパリ訳の分からない事を言うのです。例えば、山の中の病院内にいるのに、ここは海のそばだとか、自衛隊機が空を飛んでいるとか、事実無根の話が出てきました。
ただ、私に対し、ちゃんとご飯を食べろよと、いつも心配してくれていたのは、いつもの父でした。
胸の水もほぼなくなり、ベッドでも暴れるほど元気ではある、少しくらいなら歩ける程度だが、実際は車椅子利用が多く、排尿排便もオムツで済ましトイレに自力や他人の力を借りていく事は無理な状況となりました。
母の通う小規模多機能型居宅介護施設が受け入れ態勢を取ってくれていたので、病院側も母と同じところで面倒を見てもらった方が良いでしょうということで、半分近くは在宅から通いで、半分は小規模〜の方で泊まり込みをする生活になる、退院は2月10日ですとなっていました。
2月の7日までは私の声に反応して返事をしてくれた父でしたが、8日になると声をかけてもグースか寝ていて返事をしない。。。疲れているのかもしれないと思いましたし、看護師さんからも特別何か問題があるとは聞いていませんでしたので、面会を早めに切り上げました。
同9日になり看護師さんから発熱した、面会は可能ですよと言われ、面会時に看護師さんに聞いたら38度台まで上がったが37度台に下がりましたといわれました。それ以外、緊張した問題がある事は言われませんでした。ただ、発熱したため10日の退院予定は延期になりました。
10日、循環器内科の先生にお会いでき、驚く事に、父は数日、食事を拒否していたことが分かり、脱水になり点滴を必要とし、さらに10日からは酸素マスクをまたもはめている状態で、先生曰く、このまま状態が悪化し最悪の事態が起きたら、ご高齢の身でありますので心臓マッサージをすると血みどろの状態になってしまい、それではご家族さんにも辛い思いをさせてしまいますので、最悪の時は心臓マッサージをする予定は(病院側としては)ありません、と言われ、確かに一理あると思い私は頷きました。
ですが、この段階では父本人の気力体力次第で上向くでしょうし、退院したら母のいる介護施設に繋げましょうねという話も続いていましたので、私の中では父は脱水と熱が収まれば、また意識を取り戻すと思って帰りました。
11日朝3時半、病院から電話があり、父が息を引き取る目前ですと連絡がありました。10分ほどで駆けつけたのですが、既に時遅しで父の息は止まっていました。循環器内科の先生の聴診器もお借りして、胸の音を聞きましたが、心臓の鼓動の音はしませんでした。。。
父は4時5分、慢性心不全のため、この世を去りました。
まるで寝ているような最期でした。
今、自宅で安置されています。未だに安眠という感じで、返事が無いのは分かっていますが、話しかけてみています。
今日は色々と手続きモロモロありまして、ご近所さんにお知らせに行っては泣いたり、葬儀屋さんや親族関連に電話して頭使ったりで気持ちがグルグル落ち着きませんでした。
しばらく、忙しい日々が続きそうです。
介護度4の母。明日、自宅にいったん戻ってきますが、父の事をどう認識するのか?心配です。