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2025年02月11日

父、亡くなる

 父の付き添いで病院に。1月20日に内科受診。これまで長く見てくれて来た主治医さんに、脚のむくみ、胸(肺)に水が溜まっている、高血糖も進んでしまった、もう内科の範疇を超え循環器内科に回さねばならない、もう入院を勧めますと言われました。

 循環器内科の先生には、父の不眠はマイスリーといった睡眠薬が効かないとか不眠症が酷くなったから眠れないのでなく、肺に水が溜まって息苦しいから眠れない状態なのでしょうと言われました。

 特にカテーテルをするわけでは無いが、採尿用に管を入れ利尿剤でバンバン水分を取り除きます、酸素マスクもしてもらいますよとなりまして、そのまま入院。

 2日目昼までは普通の父だったのですが、2日目の夜から妄言を言い始め3日目には暴れ出して看護師さん3〜4人でも抑えられない状態になったというのです。

 知り合いの薬剤師さんに聞いたところ、父は入院中にマイスリー(短期型睡眠薬)をカットされ、離脱作用がでたのだろうと。マイスリーの場合、2日目あたりが離脱作用はキツイ。5日間くらいは離脱作用は続くだろうと。

 実際、父の意識は朦朧としてしまい、私の声や顔を見れば私だという認識は持つモノの、言っていることがサッパリ訳の分からない事を言うのです。例えば、山の中の病院内にいるのに、ここは海のそばだとか、自衛隊機が空を飛んでいるとか、事実無根の話が出てきました。

 ただ、私に対し、ちゃんとご飯を食べろよと、いつも心配してくれていたのは、いつもの父でした。

 胸の水もほぼなくなり、ベッドでも暴れるほど元気ではある、少しくらいなら歩ける程度だが、実際は車椅子利用が多く、排尿排便もオムツで済ましトイレに自力や他人の力を借りていく事は無理な状況となりました。

 母の通う小規模多機能型居宅介護施設が受け入れ態勢を取ってくれていたので、病院側も母と同じところで面倒を見てもらった方が良いでしょうということで、半分近くは在宅から通いで、半分は小規模〜の方で泊まり込みをする生活になる、退院は2月10日ですとなっていました。

 2月の7日までは私の声に反応して返事をしてくれた父でしたが、8日になると声をかけてもグースか寝ていて返事をしない。。。疲れているのかもしれないと思いましたし、看護師さんからも特別何か問題があるとは聞いていませんでしたので、面会を早めに切り上げました。

 同9日になり看護師さんから発熱した、面会は可能ですよと言われ、面会時に看護師さんに聞いたら38度台まで上がったが37度台に下がりましたといわれました。それ以外、緊張した問題がある事は言われませんでした。ただ、発熱したため10日の退院予定は延期になりました。

 10日、循環器内科の先生にお会いでき、驚く事に、父は数日、食事を拒否していたことが分かり、脱水になり点滴を必要とし、さらに10日からは酸素マスクをまたもはめている状態で、先生曰く、このまま状態が悪化し最悪の事態が起きたら、ご高齢の身でありますので心臓マッサージをすると血みどろの状態になってしまい、それではご家族さんにも辛い思いをさせてしまいますので、最悪の時は心臓マッサージをする予定は(病院側としては)ありません、と言われ、確かに一理あると思い私は頷きました。

 ですが、この段階では父本人の気力体力次第で上向くでしょうし、退院したら母のいる介護施設に繋げましょうねという話も続いていましたので、私の中では父は脱水と熱が収まれば、また意識を取り戻すと思って帰りました。

 11日朝3時半、病院から電話があり、父が息を引き取る目前ですと連絡がありました。10分ほどで駆けつけたのですが、既に時遅しで父の息は止まっていました。循環器内科の先生の聴診器もお借りして、胸の音を聞きましたが、心臓の鼓動の音はしませんでした。。。

 父は4時5分、慢性心不全のため、この世を去りました。

 まるで寝ているような最期でした。

 今、自宅で安置されています。未だに安眠という感じで、返事が無いのは分かっていますが、話しかけてみています。

 今日は色々と手続きモロモロありまして、ご近所さんにお知らせに行っては泣いたり、葬儀屋さんや親族関連に電話して頭使ったりで気持ちがグルグル落ち着きませんでした。

 しばらく、忙しい日々が続きそうです。

 介護度4の母。明日、自宅にいったん戻ってきますが、父の事をどう認識するのか?心配です。



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2025年01月05日

母、逆流性食道炎になる

 昨年12月1日。救急車を呼んだのは19時30分だった。

 小規模多機能型居宅介護施設の宿泊から17時に帰ってきた母に、夕食を準備する間、ベッドに横になってもらっていた。

 夕ごはんだよ、そう呼びに行ったとき、ベッドの母は吐血のような茶褐色の嘔吐にまみれていた。
  
 父を呼んだら、父はそこまで深刻な顔をしなかったし、母も意識がハッキリしており嘔吐したみたいと言うのだか、色がまるで血のようだったから、流石にこれは救急車案件だよねと父に言ったら、救急車を呼んでいいと言われたので呼んだ。

 母を担架で救急車の中に運び込んで体が揺さぶられたとき、救急車内で母はゴフッと吐血のような嘔吐をした。母自身の意識ははっきりしているし、嘔吐が苦しい訳ではなさそうなのだが、見ていてかなり心配になった。
  
 救急外来に着き、医師から(おそらく胃癌も視野に入れて)造影CTを撮ると言われ承諾書を書いた。それから母は救急外来内でも吐血のような嘔吐をしたそうで、服が大変汚れた状態になった。

 造影CTの結果、大きな問題は無い、ただ食道が若干広がっている。可能性としては逆流性食道炎かもしれないが、それは胃カメラを飲まないと分からないと言われ、深夜に胃カメラをやるか入院して翌日に胃カメラをするか、救急外来のより立場の偉い先生と胃カメラを実際撮る消化器科の医師との連絡をとりあって、結局のところ、入院して翌日に胃カメラをすることになった。この時、既に翌日に時計の針は回っていた。 

 深夜2時に父と帰宅し、父はグッタリとなって寝てしまったが、私は母の衣服や防水シーツ・防水布団カバー、たまたまベッドに敷いていたバスタオルが嘔吐物で汚れたので、洗濯室で防水シーツ類は手洗いし、嘔吐物がベッタリついたものも手洗いしてから洗濯機にかけ、早朝までかかって外に干した。夏場ならともかく冬場だと、防水シーツ類は乾くのに時間がかかるだろうなと思った。

 救急外来の偉い先生からの追加の話。

 実は母は、11月にも発熱および肺の音があまり良くないと言う理由で、小規模多機能型居宅介護施設から救急外来に救急車で運ばれ採血など検査をしていた。その時の血液検査の培養結果で細菌が見つかっており、今回の採血内容も培養検査をして、入院中には点滴に抗生物質を入れて細菌を排除したいという旨の話があった。

 その偉い救急外来の先生が今回の入院担当医となってくれ、(胃カメラは消化器科の先生が撮って説明するが)、入院中の治療などは対応してくれることになった。ただ、入院期間が数日ですぐ退院できるものなのか?1週間以上入院が必要なのかは、全く分からないし断言できないと言われてしまった。

 とりあえず入院初日の夕方になって、消化器科の医師から胃カメラの結果を聞いたら、胃は汚い状態だから見せないが、食道に出血箇所が複数みられたので、立派な逆流性食道炎と診断された。入院中は点滴に注射でオメプラゾールという胃薬を入れ、食道の修復を図り、しばらくしたら錠剤の胃薬(オメプラゾールとは限らない薬)で対応すると言われた。

 色々と母の見舞いや病院対応。病院では相談員さんとも話し、退院後に小規模多機能型居宅介護施設側とも連携を取るため、手持ちの医療・介護関連の資料情報を渡した。

 家に帰れば当日の床やレンタルベッドも嘔吐物でベトベトになっていたのが残っていて掃除が大変だったし、毎日の高齢の父の健康管理にへとへとになったし、睡眠も満足に取れなかったのが本音。気苦労が絶えない数日が続き、約1週間は私の通院が電車で通っている精神科と、近所の歯医者の半年クリーニングも入っていたし、父の通院日もあったので、母の見舞いだけでない毎日でクタクタだった。

 次の1週間が始まろうとしていたとき、そろそろ母の退院の話をしたいと言われたのだが、退院日と母の入院先病院にある精神科への通院日が近いこともあり、精神科通院日の前に退院して翌日くらいと直ぐ通院させるのは心配になった。通院に際し、また嘔吐するのではないか?と不安だった。

 ここは救急の患者を診る事がメインで通院日が近いからと言って1日でも入院延長というのは・・・と救急で見てくれた担当医さんに言われかけ、私は頭を抱えてしまった。

 流石に見かねた担当医さんは、では母の精神科通院日まで入院させ、精神科の先生に胃薬と一緒に精神科の薬を出してもらってから退院しましょう、と言ってくれた。本当に頭が下がる思いで感謝した。

 実はここの病院は救急外来に力を入れていて、たとえ近隣住民といえど、長期入院をさせてもらえない。父や私の知り合いの近隣住民で脳梗塞などで病院前で倒れた人も、長期入院させてもらえず、別の病院に転院をさせられた。とにかく、直ぐに転院しろと言われるようになった。

 昔、20年前ほどの話。あの時は母が階段から転落し、左手がもげかけて大きな手術をし、この病院にリハビリ入院して、さらにリハビリ通院までさせてくれたのだが、昨年の2月に母が腰を骨折した時は、コルセットで固めて長期入院とリハビリが必要な状態という事で、この病院ではなくリハビリ専門病院に1日で転院させられたのである。リハビリ専門病院には対応期間目いっぱいの3カ月も入院したので、救急外来に力を入れているこの病院では、流石に3カ月なんて入院対応してくれないのも解るのだが、いくらなんでも家が病院の目の前だと言うような近隣住民すら切る。経営不振という割に患者を跳ねのける体質になったものだと思ったし、ある意味、金にならない患者は切るだけになったのだと考えるようになった。

 精神科担当医との連携もとることができ、退院日に精神科の薬と胃薬が処方された。胃薬はネキシウムの後発品エソメプラゾールカプセル20mg1錠を朝食後に飲む事になった。あとは精神科の医師の判断で、夜の薬が効きすぎて日中の覚醒が悪いと言う理由で、寝る前のレボトミンが3錠から1錠に減らされてしまった。

 母の病状からすると、レボトミンという妄想を抑える薬がいきなり1錠に減っては(と言っても他に沢山飲んでいるのであるが)、寝る時に不眠になるのではないかと心配したら、案の定、夜中ベッド柵を乗り越え、室内を徘徊するようになってしまった。

 流石に精神科の主治医も3錠から1錠に急減するのはマズイと思っていたのであろう。頓服として1日1錠分はレボトミンを出してくれていた。結局、寝る前の薬にレボトミン頓服1錠を追加し、3錠から2錠に減った状態で寝かしつけている。そんなドタバタがあって、年末年始を過ごした。

 2025年。我が家にとって、そしてこの長文を読んでくれた貴重な方々にとって、少しでも心休まる1年になってもらいたい。そう願いながらタイピングした。



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2024年11月17日

母、コロナになる

 先月(10月)の話なのですが、小規模多機能型居宅介護の施設から帰ってきた母が、スタッフさんと共にマスクをして帰ってきました。 

 病院と違って今まではマスク姿を見たことが無かったので、どうしましたか?と聞いたところ、施設で風邪が流行っているのでマスクをさせていただきました、と言われました。

 その翌日も「通い」でして、お風呂の日でした。

 施設から電話があり、母が熱を出した。しかも38度越えだと言うのです。今まで母はコロナワクチンの時以外には滅多に発熱した事が有りません。熱以外の症状はありませんでした。熱以外は元気そう。

 ただ流石に、自宅にいる高齢の父に風邪をうつさないように、施設での「通い」から「宿泊」にしばらく替えて、様子を見てもらう事になりました。

 すぐさま自宅にある薬(母の精神科の薬)とコロナワクチンの時に使って残っていたアセトアミノフェンを持って行ってもらって、母にアセトアミノフェンを飲んでもらいました。

 翌日、母は検査でコロナ陽性となりまして長期連泊が決定。幸い、父と私はコロナや風邪症状は一切見られませんでした。

 母の通院時が2週間後だったのですが、母の主治医はコロナ発熱だとかなり気にすると思ったので、母は預けっぱなしにして父と私で通院し薬を貰いました。

 2度目の発熱を経て延長宿泊もし、3週間以上たったころに母の状態が落ち着いている、コロナを家族にうつさないだろうという判断の元、帰宅してもらいました。

 しばらく自宅では、母はマスク無しでしたが、父と私はマスクをして生活しました。

 そもそも、最近のコロナですと、陽性になって1週間もして熱が引いて他の症状も出ていない場合、検査もせずに陰性扱いで帰宅が可能なのだそうです。

 母の通院先でも、主治医に確認したかったのですが取り次いでもらえず、受付の方が2週間も問題無ければ連れて来て構わないという始末。

 実際の母の主治医は、連れてこなくて正解だったよ、というので、病院側の対応にはすれ違いがありました。

 母がお世話になっている小規模多機能型居宅介護は看護師さんがいらっしゃるので、もしもマイコプラズマ肺炎などの重度の異常が見られれば、聴診器も当てて確認すると言っていました。ただ、母は発熱以外の症状は出なかったので、聴診器は当てていないとのことでした。

 もしマイコプラズマ肺炎なら、凄い咳き込みが出たり痰なども酷いそうなので、区別くらいはハッキリ出るそうです。

 11月に入り、今度はインフルエンザが流行り出しました。テレビのニュースによると、昨年、何度もインフルエンザにかかっている人は、今年は熱が出にくく他の症状が出て、いわゆる風邪と間違えやすい、そしてインフルエンザの発見が遅れるという傾向があるそうです。

 そしてですよ、母、また施設でまた発熱したんです。今度は施設にアセトアミノフェンがあったので、それを先に使ってもらいましたが、発熱翌日には自宅のアセトアミノフェンと病院の向精神薬を持って行き、宿泊延長にして様子を見てもらう事になりました。

 母は発熱経験が少ないので、こう続くと心配ですね。薬やオムツ補充の際、今回は取りに来てもらうのではなく、父と私とで会いに行ったのですが、熱も下がって元気そうでした。笑顔も見られて良かったです。

 施設の方の対応を見ることが出来たので、私の介護方針も変えようかと思っています。プロの介護スタッフさんは優しい。私は厳しい対応をしてしまう。優しく話をはぐらかすのも大事なのだなと。。。

 でも、トイレでオムツ交換などの作業はスタッフさん2〜3人がかりでやるんですよ。それを自宅では私一人でやっています。父はその大変さを理解してくれているのか?多分、自分事じゃないから、もう忘れているか?適当に大変だねと言うのか?頼り無い答えが返ってきそうです。

 優しく接しろというけど、危険行為を放置できないから大きな声を出してしまう私。それが負担の父。父だって叫ぶんですよ、傍で見ている時。ただ見てても叫ぶ。なのに私には叫ぶなと言う。これ、凄いストレスかかる。優しさって何なんでしょうね。難しいです。

 とりあえず、母の発熱が何度も無い事を願います。


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